天満社

神社名天満社(テンマンシャ)
旧社格村社
鎮座地岩手県一関市花泉町花泉字東鹿野48番地
祭神菅原道真
木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
例祭日春季例祭4月24,25日
秋季例祭10月第3土,日曜日
宮司千葉和人氏
連絡先〒029−3101
岩手県一関市花泉町花泉字東鹿野48番地
千葉和人氏
電話 0191−82−2839
メール mailto:hana46@iris.ocn.ne.jp
※メールでの受付はしておりません
由緒
 応永34年(AD1427)9月25日、中村城主中村和泉守平信房の勧請。これ即ち菅原道真公を祀る。(安政4年(AD1857)書上写)
 明治43年8月1日、山の神社を合祀。

菅原道真公

 平安時代の学者で政治家。父を是善(これよし)といい、代々学者の家柄で殊に道真は学徳に優れていた。
 清和、陽成、光孝、宇多、醍醐の五天皇に仕え、殊に宇多天皇の御信任を受けて重く用いられ、次いで醍醐天皇の御時には右大臣に進んだ。

 その頃、藤原氏の一族時平は左大臣として道真と共に政に与っていたが、道真の人望が高く天皇の御信任が厚いのを妬み、一味の人々と謀って道真は悪い企てをしていると讒言したので、官を下げられて太宰権師に任ぜられ、延喜元年正月(AD1561)九州太宰府に遷された。

 併し道真はそのために朝廷を怨むようなことはなく却って皇恩の深いのに感泣しながら同3年2月、59才で太宰府に薨じた。
 後に無実の罪であることが明らかになり、一條天皇の御時に正一位太政大臣を贈られ、天満大自在威徳天神(テンマンダイジザイイトクテンジン)という神に祀られた。

 福岡県の太宰府神社及び京都府の北野神社はこの神を祀ったもので今の世までも学問の神様、天神様と崇められている。

木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)

 大山祗神の御女で御姿が美しく皇孫ににぎの命の妃となった木花開耶姫命は、産気づくや八尋殿(やひろでん)という入口のない産屋を建てその中へ入り内側を土で塗り火をつけてお産をした。その火の燃える中で最初に生まれたのが火照命(ホテリノミコト)、次に火須勢理命(ホスセリノミコト)、次が火遠理命(ホオリノミコト)の御三人の男児である。母体も赤ん坊も火に焼けずに御無事で出産し優れた子として育った。
 お産の神として祀られる。

 なお、のちに兄の火照命は海佐知毘古(海幸彦)となって漁業で暮らしを立て道具として釣針を持ち、弟の火遠理命は山佐知毘古(山倖彦)となって生活の手段は狩猟に置き道具に弓矢を持つことになった。
通りゃんせ (わらべ唄)
通りゃんせ通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ、天神様の細道じゃ
ちっと通してくだしゃんせ、御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに、おふだをおさめにまいります
行きはよいよい、帰りはこわい、こはいながらも通りゃんせ、通りゃんせ
見取り図 交通
 JR花泉駅下車、徒歩10分。

 岩手県交通天神橋下車、徒歩1分
お祭り

春季例祭  4月 24日  神輿渡御
         25日  例祭
秋季例祭 10月第3土曜日 神輿渡御
         翌日曜日 当該年の七、五、三歳児の七五三行列
              神社にて祈願
奉仕活動

 毎月25日に、地区老人クラブにより神社境内の清掃奉仕作業が行われています
境内のたたずまい

写真1
参道の写真  国道に接する参道入口から、遥かに社殿を望む
 右端のガソリンスタンドのコンクリート塀の上に拝殿の屋根が透けて見える
写真1−2
参道周囲の様子  平成18年5月現在の様子です
 上の写真のガソリンスタンドは無くなり、参道の様子がはっきり分かります
写真2
二の鳥居の写真  朱塗りの二の鳥居までアスファルト舗装
 その先には神橋が架かり、石段へと続く
写真3
拝殿の写真  参道を登り切って右に折れると正面は拝殿
 拝殿の向かって左は神楽殿
写真3−2
改修後の拝殿の写真  古くなり痛んできた社殿の改築工事は、平成17年12月4日に竣工奉告祭が執行されました

 拝殿は部分改修となりました。
写真4
社額の写真  拝殿正面の「天満宮」の社額
写真5
本殿の写真  右から拝殿、幣殿、本殿と続く
写真5−2
改修後の本殿の写真  平成17年12月4日、幣殿、本殿は新しく、すがすがしく改築されました
写真6
社務所の写真  本殿の後ろに社務所がある
 唐破風が珍しく目に映る

 社務所の屋根も平成17年12月4日に改修されました

 写真は改修前のものです


平成18年5月10日現在で更新

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