| 神社名 | 熊野神社(クマノジンジャ) |
|---|---|
| 旧社格 | 村社 |
| 鎮座地 | 岩手県一関市中里字荒谷79番地 |
| 祭神 | 伊弉那岐命(イザナギのミコト) 伊弉那美命(イザナミのミコト) 速玉男命(ハヤタマのオのミコト) 事解命(コトサカのミコト) 須佐之男之命(スサノオのミコト) |
| 例祭日 | 9月9日 |
| 境内神社 | 照井神社(テルイジンジャ) |
| 宮司 | 佐藤史大氏 |
| 連絡先 | 岩手県一関市花泉町涌津字二ツ壇17番地5 電話 0191−82−3759 |
人皇73代堀河天皇の長治年間(AD1104-1106)、奥羽両国の夷賊が猖獗を極め、加うるに悪疫流行して領内の衆民大いに苦患に悩み、鎮守府将軍藤原清衡これを憂い、紀州那智山熊野大権現に祈願せしに著しき霊験ありて忽ち賊徒を定め領内静謐に帰せるを以て、深く御祖徳の広大なるを感謝し報賽として領内に祠堂を建立し熊野大権現を勧請せんとせしが事成らずして没する
その子基衡が父の志を継ぎこの地を卜し、社殿を創建し御分霊を安置して熊野三社大権現と崇称し、国家鎮護の祈願所とする。その後火の災い、水の害頻々として至り堂宇概ね荒廃流失し、僅かに本殿一宇を残存せり
後世に至り領主葛西晴信信篤く御神徳を崇仰し、社殿の大修理を加え祭祀を再興して昔日の面目を復す
当神社は初め熊野三社大権現と称し、他に三カ所に分祠せられたのであるが、明治の初年藩庁治世の際二カ所を本宮に合祀し、更に権現号を廃して熊野神社と改称せり
明治7年(AD1874)村社に列せられ、同8年(AD1875)中里村・前堀村が併合して中里村になる。現在の一関市となる
交通
国道342号竹山交差点から東大橋方面に進み、途中の信号機から下の橋方向に右折し南進約50m、T字路を左折し東進約250m、堤防に合流するあたりに神社が鎮座しています
グーグル地図
磐井川堤防の方から鎮守の森を見渡します
参道には最近まで左右に桜の巨木がありました。根元の一部が残っている物もあります。数百年に亘り神様と氏子の心を桜花で慰めて来たのでしょう
参道を進んで正面に石段があり、その先に拝殿があります
拝殿正面には社額はありません
写真の右から本殿、幣殿、拝殿です
拝殿前の旧天神像は首が欠けていたので、新たな天神像が設置されました